佐賀&長崎ツアー
遊道楽でレトロゲームを楽しんだ後は車を走らせ大村市までやってきた。
大村市といえばスコーコーヒーパークがある場所だが、今回の目当てはコーヒーではない。
大村市にはかつて第21海軍航空廠があり、
その戦争遺跡が現在も残っているとのことだったので、実際に行ってみることに。

戦争遺跡があるのがこちら。
原口公園という公園。子どもたちが遊んでいる中公園の外観を撮影するのが大変だった・・・
デジタル一眼で子どもたちを撮影なんて完全に不審者だから、こんな分かりづらい写真だけ。
さて、この公園のどこに戦争遺跡があるのかというと・・・

このコンクリートの巨大な遊具。
上の方は展望台になっていて、下のほうには滑り台とか鎖を登れる遊具になっている。
「このコンクリートの山が戦争遺跡?」そう思い、裏手に回ってみると・・・

こんな形になっていた。
見る人が見れば分かるとは思うが、これは掩体壕(えんたいごう)と言って飛行機用の防空壕。
山の下に飛行機を格納できるようになっている。

こうして見ると山なりに中央の部分だけ出っ張っているのが分かる。
これがプロペラや操縦席といった飛行機の胴体部分を収納できる場所。

ただし、この穴はバリケードで完全にふさがれていた。
ふさがって無くても子どもたちは遊べると思うんだが、いろいろ危険があるのかな?


せっかくなので、登ってみた。思った以上に高い。
周りは住宅地になっていたが、かつてはここに飛行場や基地があった。

ちなみにこのそばにも戦争遺跡がある。
こちらは防空壕の跡らしい。
全盛期には210㎡の敷地に180棟の建物が建てられ、5万人近くが働いていた。

しかし、その巨大な工場は格好の攻撃目標となり、
昭和19年10月25日に大村市をB-29の編隊が襲った。

この空襲は「大村大空襲」と呼ばれており、約300人の死者、400人の負傷者を出した。

この防空壕も爆撃を受けた跡が今でも残っている。
この壕が何人かの命を救ったのだろうか。
今では塞がれており、中に入れないようになっていた。

というわけで、第21海軍航空廠。
遺構は少ないものの、戦争当時の様子を知ることが出来る。
近くには看板もあり、詳しい説明を見ることもできるぞ。
コメント