大分県宇佐市。
そこにかつて海軍の航空隊基地があった。
昭和20年。戦争が終わったとともに基地も役目を終えたが、
戦後70年を過ぎた今でも基地の一部が残っていると聞いて、見に行くことに。


半地下の施設。
電信室か排水施設と言われているが、詳細は分かっていない。
戦時中の軍事施設は最重要機密。そのため、戦後になっても明らかにならないことが多い。
友ヶ島の戦争遺跡も最近になって発見されたものもあったっけ。

宇佐海軍航空隊は昭和14年に開隊され、昭和20年に解隊された。
稼動していたのはわずか6年だが、空襲で320名。また、特攻出撃により154名。
合わせて474名が犠牲となっている。

この宇佐海軍航空隊では人間爆弾の「桜花」も出撃していた。
1200キロの爆弾とともに敵機に体当たりしていく。
どんな気持ちだったのだろう。

レンガ造りの建物。落下傘整備所だったらしい。
空襲にあっておきながらここまでしっかりした状態で残っているのがすごい。
外のパイプとかはプラスチックのようだが、戦後も使われていたのかな?


壁には機銃掃射を受けた跡がある。
こんな巨大な穴が空くほどの銃撃。
どんなに恐ろしかったことだろうか。

こちらは詳細不明の遺構。
これも恐らく戦争遺跡だと思うのだが・・・人間用の防空壕か?

さて、次の遺跡はこんな田んぼの中にある。
高知県の掩体壕でもそうだったが、航空隊基地には広い平地が必要なため、戦後は農地になるケースが多いのだろうか。

田んぼを進んでいった中にあるのがこの爆弾池。
爆弾が落ちて出来た穴に水が溜まって出来た池だ。

直系は10m、深さは3m近くあるらしい。
想像以上の威力だということが分かる。
当時は他にもたくさん爆弾池が残っていたが、埋められてしまい、現在も残っているのはここだけ。
戦争を二度と繰り返さないという想いを未来に継ぐということで、土地の所有者が保存したらしい。

さらに離れたところには掩体壕があった。
以前も紹介したが、掩体壕とはいわば飛行機用の防空壕のこと。
この中に飛行機を収容していた。

宇佐海軍航空隊基地跡では分かりやすいようにプロペラが設置してあった。
こいつがあるだけで当時の様子が分かりやすくなる。

更に分かりやすいように、足元には飛行機の形が描かれていた。
これを見ると、かなりぴったりのサイズに作られていたようだ。
飛行機を収容するのはかなりの操縦技術が必要だったことだろう。


こちらの掩体壕のそばには看板があり、
当時の様子や収容されていた飛行機について詳しく説明されていた。
戦争当時の様子を知る貴重な資料。


ちなみに、この場所には他にも掩体壕が10基ほどある。
そのほとんどが農機具置き場になっていたり、民家の倉庫になっていたりする。
今回は時間の都合で全て回ることは出来なかった。
というわけで、宇佐海軍航空隊基地跡。
今回紹介した以外にも戦争遺跡が多数残る貴重な場所。
二度と戦争が起こらないことを願いながらこの場所を後にした。
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