長崎県沖
そこに日本で最も有名な廃墟がある。
端島。
その島はかつて炭坑として栄え、5000名以上の人が暮らしていた。
その島は軍艦・土佐に似ているため、軍艦島と呼ばれていた。
現在では一部遊歩道ができ、上陸することが可能だが、
私が訪問したときは遊覧船のツアーしかやっていなかったので、
その時の模様をお届けしたいと思う。
船乗り場にあったミニチュア。
島の様子が忠実に再現されている。
いざ船に乗り込む。
なんだかわくわくするぞ!
長崎の港。
ここから出港した。
教会もあった。
さすがはキリシタンの栄えていた街
奥に見えてきたのが軍艦島。
確かに軍艦に見える。
だんだんと近づいてゆく。
島の全景が見えてきた。
長崎港から10分程度で到着。
当時は定期便もあったのだろう。
この広い島の全てが廃墟。
今まで行ったどの廃墟よりもすごい。
まず見えたこの大きな建物は小中学校。
鉱山で働く男たちの子どもが通っていた。
奥に見える建物は65号棟。
軍艦島で一番大きな建物だったらしい。
この建物は病院。
炭鉱の労働は危険と隣り合わせだろう。
船は軍艦島の周りをゆっくりと一周する。
ファンにはたまらないサービス。
防波堤には釣り人が立っていた。
上陸できるのはなんとも羨ましい…
今は遊歩道が整備され、一部だけ上陸することは可能だが、
内部の探索は不可能だろう。
軍艦島はその狭さゆえ、
建物が密集していた。
窓のすぐ向こうにはおとなりさんの家。
プライバシーの概念なども薄かった時代。
コンクリートの建物が密集する。
なんとも美しい光景。
密集した建物
そこには日照権などなかったらしい。
密集した建物、そのほとんどがつながっており、
内部は迷路のように入り組んでいたらしい。
山頂に神社があった。
ここは当時の島人などが来て管理しているらしい。
長崎県の外海。
そこは台風の通り道であり、
そのため、ここは風雨にさらされることとなる。
この島を全て見て回ろうと思ったら、
とてつもない時間がかかるだろう。
この島は大きく分けて、居住区のエリアと炭鉱のエリアに分かれていた。
このあたりは居住区のエリア。
この島に人が住んでいたのはわずか100年足らず。
そう考えるととても儚い島だ。
最盛期にはわずか6.3ヘクタールの島に5267名の人が暮らしていた。
これは当時世界一の人口密度だった。
それは当時の東京の人口の9倍であり、
畳1枚に33人がいる計算だったらしい。
1974年に閉山して以降40年
この島はずっとこのままとなっている。
わずかだが、無機質な島にも緑がある。
緑と灰色のコントラスト。
このあたりは映画館やスーパーなど、
娯楽施設のあるエリアだったらしい。
鉱山ができればそこには街ができる。
働く男、そしてその家族のために、
娯楽施設、学校、病院など、ありとあらゆるインフラが整うのだ。
上の方の階は賃料も高く、
鉱山労働者の中でも位の高い人が住んでいたらしい。
確かに上層からの眺めはよかっただろうな。
最上部にあった建物。
なんの建物だろうか。
変電所や水道などのインフラももちろん必要だったろう。
この建物全てに人が住んでおり、
生活があったということが信じられない。
当時はコンクリートの建物に木が組み合わさり、
それはあたたかみのある建物だったのだろう。今では無機質なコンクリート群だ。
船はぐるりと回って、
裏手の鉱山エリアへと進む。
島は真ん中の山を挟んで、
居住エリアと鉱山エリアに分かれていた。
こちら側は今まで見ていた居住エリア。
コンクリートの建物が所狭しと並ぶ。
当時は人の賑わいもすごかったのだろう。
鉱山エリアに近い住宅。
どの住宅も職場まで遅くとも30分あれば行けたのだろう。
職場まで近いのはいいが、有給とか取りづらそう。
まして仮病なんて絶対無理なんだろうな。
このあたりからはもう鉱山エリア。
右側には港があったらしい。
鉱山エリアは低い建物が多い。
坑口が地下に伸びていたからだろう。
斜めから見た軍艦島。
右上の山を挟んで、
左が居住エリア、右が炭坑エリア。
鉱山エリアが徐々に見えてきた。
壁すらなくなった建物。
かつての住民が見たら何と思うのだろう。
鉱山エリアは倒壊が激しい場所も多い。
機械などが立ち並んでいたため、風雨の被害をもろに受けたのか。
ボロボロの建物
波や風の影響がすごかったのだろう。
高い場所にあった団地。
先程も言ったが、ここは鉱山でも位の高い人が住んでいたらしい。
確かに上部からの眺めは良かっただろうな。
10キロくらい先に長崎の街も見えるし。
右手に見えるのは一番最初に見えた小中学校。
小中学校のすぐ裏にお父さんたちの働く現場があった。
小学校の手前に見えるのは体育館の骨組み。
今では鉄骨だけになっているらしい。
ベルトコンベアの跡などもあるらしいが、
高い塀に覆われて見えなかった。
ショベルカーの頭が見える。
当時は工事中だったが、今では整地され、遊歩道ができているらしい。
防波堤の切れ目からベルトコンベアのラインが見える。
この辺が炭坑エリア。
65号棟の上に植物が生えている。
やはり植物の力は偉大だ。
当時は活気に満ち溢れていたのだろう。
夜でも明かりが点っていたらしい。
仮設トイレが見える。
確かに工事中トイレに行きたくなってもすぐに本土には戻れない。
このあたりから上陸できたようだ。
今では観光のための船が接岸するのだろう。
手前の柱を見ると、当時はもっと立派な桟橋があったのだろう。
精製した石炭を運ぶ必要もあった。
軍艦島は意外と緑が豊富。
当時はどれほどだったのだろうか。
小中学校が見える。
特に角の教室なんか眺めが良かっただろうな。
最上部にあったアパート。
風が抜けるため、痛みは激しい。
コンクリートの塊
ここにこんなものを作るのにどれだけの費用と労力がかかったのだろう。
よくみると渡り廊下のようなものがある。
ここの建物はそのほとんどがどこかでつながっていた。
そのおかげで回り道をすることなく、
他の建物へ行き来ができたらしい。
その反面、建物同士が複雑に入り組んでいて、
迷子になって大変だったとか。
山の上の建物へも行くことができたようだ。
便利といえば便利。
小中学校。
教室の中には残留物もあるらしい。
確かにそこには人がいたのだ。
こちらが炭坑エリアの全景。
左側が炭坑エリア、右側が学校エリアとなる。
そして船は軍艦島を後にする。
間違いなく日本最大の廃墟だった。
店名 | 軍艦島 |
住所 | 長崎市常盤町1-60常盤ターミナルビル102(フェリー乗り場の住所) |
電話番号 | 095-895-9300 |
営業時間 | 午前便:10:40出航~13:00帰港 午後便:10:40出航~13:00帰港(いずれも30分前集合) |
定休日 | 不定期 |
料金 | 個人:3600円(3900円) 団体:3300円(3500円)※()内は休日料金 |
関連URL | 上陸・周遊ツアーのページ |
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