九州と本州とを分かつ海峡「関門海峡。」
そこは瀬戸内海の入り口であり、戦時中、戦略的に非常な重要な場所であった。
その関門海峡の下関側には火の山という山があり、かつては旧日本軍の要塞があった。
現在は公園として整備されていおり、ロープウェイでも車でもアクセスは可能だ。
火の山からは関門海峡が一望できるのだが・・・
この日はメチャメチャ天気が悪く、霧も出ていた。
この写真もタイミングよく霧が薄れた瞬間に撮った一枚。
要塞跡地は子ども広場のすぐそばにある。
かつての要塞が今では子どもの遊び場になっているというギャップ。
それだけ平和になったということか。
第3砲台の24センチカノン砲座
平成12年に発掘調査で発見されたらしい。
戦後50年も誰にも知られなかったのがすごい。
戦艦大和の砲弾もあった。
これ、レプリカかと思ったら本物なのか!
長さは1.95m、重さは1740kg。こんなものが命中したら巨大戦艦とてひとたまりもないだろうなぁ。
さて、さっそく要塞跡を見に行こう!
・・・と意気込むまでもなく、右側にさっそく見えているのが要塞跡。
ホントに公園に溶け込んでいる。
こちらは第3砲台の側砲庫跡。
この半地下のトンネルの中に弾薬など収納していた。
現在がベンチが設置されており、
訪れた人が気軽に休めるようになっている。
こんな大型のカノン砲が据え付けられていた。
毎回思うけど、こんな巨大な大砲でちゃんと狙ったところに当たるのだろうか。
命中精度が気になる。
こちらが第4砲台に据え付けられていた大砲。
こいつは上空の敵を狙うタイプなのかね?
第4砲台の弾薬庫。
司令室や観測所だったようだ。
地下に至るトンネル。
要塞は一ヶ所やられても大丈夫なように地下で複雑に入り組んでいる。
こちらが司令室跡。
確かに、この要塞で一番高い位置にあるし、しっかりとした造りになっている。
司令室跡は思ったよりも狭い。3~4人いたらいっぱいだ。
壁に何やら穴が空いていた。
ここで簡単な食事を作ったりしていたのかな?
ここが砲台跡。
この円状の地に砲台があり、照準に合わせて回転するようになっていた。
こちらには一回り大きな穴が。
こっちが砲台跡かな?巨大な木が生えていた。
戦後70年という年月の重みを感じざるを得ない。
続いてはこちらの弾薬庫に向かう。
半地下の中に作られた複数の穴。
他の要塞でもよく見かける構造だ。
中はこんな感じになっていた。
2つの部屋があり、反対側にも出口がある。
片方が攻められても反対側から逃げられるようになっている。
石造りの弾薬庫。
これは地面を掘って造ったのか?
それとも建てたものの上に土を被せたのか。
弾薬庫の中には中に仕切りがあるところと無いところがあった。
置いてあるものに違いがあったのかな。
雨も降っていたので、地面がぬかるみ、ひどい状態になっていた。
上の方には砲台跡がある。
写真には写っていないが、このすぐ右側には子ども広場の遊具がある。
そのギャップがすごい。
先ほどの反対側に回ってみた。
弾薬庫はこちらからもアクセス可能だが、先ほどと変わらないので、下までは降りなかった。
というか、雨が強すぎてホントに探索する気力が殺がれる。
こちらにも弾薬庫があった。
この場所には本当にたくさんの戦争遺跡が密集している。
というわけで、火の山公園。
戦争遺跡を実際に間近で見ることが出来る。
現在は公園として整備されており、気軽に立ち寄ることも可能だ。
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