太平洋戦争末期。
日本軍はいろいろとトチ狂った戦法をとっていた。
竹やりの訓練を行なっていたり、風船爆弾を作ったり、特攻を行なったり、
「お前そんなんで勝てるわけねーだろ!」と言いたくなるようなものばかり。

そんな戦争末期に作られたのがこちらのコンクリート船、武智丸。
さすがに戦艦ではなく、輸送船なのだが、コンクリートで船を造るだなんてどういうこっちゃ!?
戦争末期は鉄が不足していたため、コンクリートで造られたようだ。

今ではわざと座礁させ、防波堤として利用されており、自由に入ることが出来る。
さて、さっそく行ってみることにしよう。

船首。これを見ると船だったということが良く分かる。
船体には砂なども堆積しており、時間の経過が伺える。

さて、どんどんと進んでゆく。
この船が防波堤として設置されるまでは台風のたびに被害があったらしい。

輸送船だったためか、中央に大きな穴が空いている。
そこには現在海水が入っており、大きなプールとなっていた。

コンクリートの一部が風化しかけている。
この中に入って船を操作していたのかな?

もはや天井部分がなくなってしまい、骨組みだけになっていた。
よく考えたら船首には操作機関はないか。

武智丸は4隻造られたようだが、第3・第4は機雷と台風によってそれぞれ沈没してしまった。
現在残っているのはこの2隻のみ。第2武智丸も機雷に触れたらしいが、こちらはあまり被害がなかったようだ。

こちらは第2武智丸。
草が生えてしまっている。
コンクリートの中に草が生えているという現実。
70年という時間の長さがコンクリートに根付かせてしまった。

こちらは沖合いにあるだけあって、船体がきれいな状態になっている。
石炭、鉄鉱石、雑貨物資などを運んでいたらしい。

先ほど上から見たところの中に入ってみた。
当時は天井に鉄板が張ってあり、船内は暗かったのだろう。
ここに船員がいたのかな?

中央に空いている穴はなんだろう?
下にも部屋があって、そこに行くための階段でもあったのかな?

現在下のスペースは海水が溜まっていた。
2度と内部を見ることはかなわないだろう。

窓から向こうを眺めてみる。
当時もこんな感じの景色が見えたのだろうか。

先ほどの船体のところに戻ってきた。
輸送物資を置いていたであろう場所。
ここに石炭や鉄鉱石を山盛りにした状態で船が浮かんでいたのがすごいなぁ。

なにやら物資が置かれていた。
現在も荷物を置く場所として利用されていたらしい。

このあたりにも何かが設置されていた跡がある。
戦艦ではなかったはずだが、輸送船にも当時は砲塔とかもあったのかな?

輸送スペースの中は海水だらけ。
釣った魚をこの中に入れてみたい。

船頭(船尾かな?)
コンクリはボロボロになっていたが、中に入ってみることにしよう。

こちらには天井が残っていた。
中には何やら良く分からない丸い金属が。
これは流石に戦後に置かれたものだろうな。

さきほどの天井部分。
潜水艦の潜望鏡みたいなものがあったのかな?
70年も経ってしまうとなかなか当時の様子が分からない。

さて、船を下りて先っぽのほうに行くと、ちゃんと防波堤があった。
先端には灯台がある。あー、こんな場所にいると釣りしたくなる(笑)

こうしてみると船ということが良く分かる。
こんな防波堤を造るのも大変だったろうな~

船と防波堤の設置面。
しっかりとくっついているわけじゃなく、ガシッとハマるようになっていた。

さて、雨も強くなってきたことだし、そろそろ戻るとしよう。
晴れたときにここに来て釣りをするのもいいかもしれない。

2隻の船の設置部分は完全にコンクリでくっついていた。
大型船でクレーンとかを使って運んだのかな?大変だったろうなぁ。

コンクリート船は強度は特に問題ないようだが、
木枠にコンクリを流すために大きな木枠を造らねばならないので、
コストがかなりかかってしまうらしい。

それでも戦争末期は鉄が不足していたため、コンクリで造られたんだろう。
一般人の鍋や釜まで回収していた時代。
もう2度と戦争など起きないことを願いながら、この場所を後にする。
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