伊豆稲取に隔離病棟の廃墟がある。
そんな情報を聞き、再び伊豆へやってきた。
もう何十回と伊豆に行っていて、
ここの場所も知っていたんだけど、
まさか国道からこんなに近い場所にあるとは思ってもなかった。

この病棟は1958年から使用され、
1982年に閉鎖されたらしい。築年数は55年以上、廃墟年齢は30年以上。
25年くらいしか使われていなかったようだ。

この建物は人為的破壊・自然的破壊とともに進んでおり、
かなりボロボロになっている。ネットでは10年くらい前の写真が落ちていたが、
今よりも建物がしっかりとしており、残留物もそこそこ残っていた。

このあたりは特に崩壊がひどい。
渡り廊下になっていたのだが、もはや原型がかろうじて残っているような状態。

電気のケーブルが上からぶら下がる。
ここへ電気関係の建物だったのか?

押入れ。ここの建物は病棟じゃなくて宿直室みたいな感じかな?
奥へ進めなかったし、残留物もほとんど残っていなかったので、分からない。

この建物はホントにボロボロ。
海がすぐそばのため、台風とかの影響をもろに受ける。
さらに人為的な破壊も進んでおり、あと何年もつかといった状態。

別の建物とつながる階段。
骨組みだけになっており、いつ崩れるかわからない。

さすがにこの階段を登る勇気はなかったので、
外から上の建物へ進む。

一段上の建物。こちらもボロボロ。
地面からは竹が生えてしまっている。

数少ない残留物の棚。
カルテやら医療道具やらが置かれていたのだろう。

金属製の洗面器と洗面器を置く台。
数少ない残留物の1つ。
天然痘の隔離病棟という噂だが、天然痘は国内では1955年を最後に発生していない。
1958年に建てられたこの建物は本当に天然痘の隔離病棟なのか?

ベッドが部屋の入口に。
天井や壁もボロボロで進むのも一苦労。

あちこちから竹が伸びており、地面もボロボロ。
竹の生命力は強く、庭に植えてはいけないと言われている。
アスファルトさえ突き破ることもある。

廊下にも竹だらけ。
そしてあちこちボロボロになっている。
当時の様子を知ることはもはや難しい。

先ほどの渡り廊下。
うーむ、階段から来なくてよかった・・・

手洗いの水道もボロボロ。
窓枠もこんな状態になっている。

病棟の入口のところにベッドが置いてある。
これも誰かが置いたのだろうか?ベッドの藁もボロボロ。

この部屋は狭いが、ガラスが残っている。
これは奇跡に近いぞ。

この広さということは一人部屋だったのかな?
当時のことを考えると一人部屋ってのはいい待遇。
隔離されているし、決していい待遇ってわけじゃないけどさ。

奥の病室は崩壊していた。
あと5年くらいしたら完全に自然に還りそう。

竹林の上に更に病棟がある。
こちらへのアクセスルートは崩壊していたため、
斜面を登っていかねばならない。

こちらは先ほどの建物よりはまだ状態がいいほうか?
しかし、相変わらず竹が生い茂っている。

ちなみこの隔離病棟。
もともとは国道からアクセスできたのだが、
1978年に伊豆大島近海地震がで土砂崩れが発生。
トンネルも崩落し、完全にルートが途絶えてしまった。

そのため、近隣の病院へ患者を移送し、
1982年に完全にここは役目を終えた。

現在は旧道は完全に塞がれ、新道が通る。
この建物までのアクセスルートは途絶えることとなった。

トイレ。
隣との距離近くね?
いろいろ嫌じゃね?

床がボロボロに抜けている。
このあたりは人為的な破壊でなく、自然の力だろうな。

外に落ちていた残留物。
これは何に使用されていたものだろう?

というわけで、稲取隔離病棟。
この建物は自然と共に朽ちていく運命だったのだろう。
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