佐世保バーガーやハウステンボスで観光地としても有名な佐世保。
しかし、かつては軍港が栄えており、戦略的にも非常に重要な土地であった。
そんな佐世保に今でも要塞の跡が残ると聞いて、行ってみることに。

要塞跡があるのがこちらの石原岳森林公園。
西海市にある公園で、自由に見学することが出来る。
案内板にもしっかりと「砲台跡」「堡塁跡」の文字が。

要塞としての歴史は非常に古く、明治30年まで遡る。
日清戦争の直後。昭和4年には陸軍の台帳から除籍されたとあるが、太平洋戦争の時には使われていなかったのか?
それとも記録上削除されているだけで、実際は使われていたのかも。

実際に行ってみてビックリ!!!
要塞跡は大久野島や友ヶ島で行ったことがあるが、ここまでしっかりときれいに整備されているのは初かも。

弾薬庫の跡はこんな感じ。
公園だからこそしっかりと清掃も行なわれているんだろうな。

スロープがついており、下まで降りることも出来る。
ちなみにこの要塞は実戦では使われたことは無い。

弾薬庫の中。こちらも非常に綺麗に片付いている。
左奥の壁が一部盛り上がっているので何かと思ったら・・・

こんな感じで塞がれていた。
大久野島でもそうだったが、要塞同士は内部で繋がっており、一箇所がやられても他に逃げることが出来る。

写真ではフラッシュを焚いているが、実際は真っ暗。
湿度も高いし、日本という国がそもそも火薬の保存に向いていないんだろうな。

弾薬庫がズラリと並ぶ。
実際は弾薬だけでなく色々な物資を収納していたらしい。


こんな感じで入り口には名前が刻まれていた。
右側から読むスタイルなのが時代を感じる。
一番左の漢字は旧字体のため、読めなかった。

一番奥には何やら他の入り口と異なる入り口がある。
気になるので、行ってみたところ・・・

こんな感じになっていた。
なにやら非常に暗い洞窟。電気はあるが、スイッチが見当たらなかったため、カメラの補助光を頼りに進む・・・

ここがメチャメチャ暗い・・・
実際の戦場ってのはこんな感じなんだよなぁ。

後ろを見てみるとこんな感じ。
戦場で砲撃を受けて真っ暗な洞窟に閉じ込められたらと思うと恐ろしい・・・

奥まで進むと階段があった。
階段を登るとさらに左右に階段が分かれていた。

とりあえず左のほうに進んでみると・・・

こんな部屋にたどり着いた。

この部屋。左側に小窓がたくさんあり、自然光が射し込んでいた。

窓は非常に小さい。
ここから銃を出し、敵を狙っていたのだろうか。

さて、先ほどの場所に戻ってきた。
この要塞は立体的な構造になっており、上の方にも堡塁があった。

こちらは大分下がった位置に弾薬庫がある。
この左右には砲台の台座跡があった。


こちらは1つだけの堡塁が3ヶ所あった。
戦略的にはこちらが正しい。一ヶ所やられても他の場所でカバーできるようになっている。

砲座。もはや埋もれてしまっているが、ここには全部で7つの砲台があった。
大村湾の入り口となる佐世保湾を守るための非常に重要な場所であった。

ここにいると分かるのだが、ここから湾は一切見えない。
海からも1km近く結構距離がある。
無線などで砲台の角度を調整していたのだろうか。

裏の方には公園を一周歩ける遊歩道があった。
ここを歩いてみると・・・

こんな感じの小窓があった。
これが先ほどの小窓がたくさんの部屋の外側。
こんな小窓を使わねばならないほど上陸して近くに攻め込まれたら終わりだと思うが・・・
訓練用に使っていたのだろうか?

というわけで、石原岳堡塁跡。
佐世保要塞の1つであった。
一度も実戦で使われてはいなかったものの、戦争遺跡が今でも残る珍しい場所。
ちなみに、この付近には佐世保要塞の跡が他にも7つあるらしい。
今回は1ヶ所しか行けなかったが、今度行けたらと思う。
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