天正金鉱ではおじちゃんが金の採掘の案内をしてくれる!!(13/12/29)

博物館

土肥金山で学んだのだが、伊豆半島には金鉱脈が多い。
土肥を始めとし、清越、大仁、持越とたくさんの金山がある。
天正金鉱はそんな伊豆の金鉱脈の1つ。

天正金鉱は土肥金山から徒歩5分と非常に近くにある。
しかし、場所は少し分かりづらく、看板も地味。
土肥金山にはしっかりした経営母体があるのに対し、
こちらは個人経営のため、それは仕方がないのかもしれない。

11時半くらいに訪問したら、我々以外に1組のカップルがいたのみ。
しばらく待っているとおばさんが登場して、案内してくれた。

こちらが金の精錬施設の跡。石で囲まれているのは炉の跡で、ここで金鉱石を精錬していた。
炉の跡が2つあり、片方では金の精錬が、もう片方では塩を生成していた。

金の融点は1064℃

その温度に達するためには塩を炉に投入する必要があり、
そのため、金の精錬施設は海のそばに多いんだとか。ためになるなぁ~!

他にもおばさんがテンポよくいろいろと説明してくれる。
奥の石垣の下の方は当時のものらしい。

こちら金を精錬した時に出てきたカス。

金は比重が重いため、金以外の金属は上澄みとして上部に出てくる。
その金属を集めたものがこのカス。

伊豆半島にある金鉱山

土肥金山のときも見たが、こうして見るとかなり金鉱脈が多い。
金山跡の廃墟や遺跡なども多いぞ。

地下の資源。どうでもいいけど、外に展示してあったこの看板。
かなりボロボロになっている。もうちょっと風雨に強い加工をしてもいいのでは?

さらに進むと、金の精錬の様子を示した模型が飾られていた。
こちらも山陰にそのまま置かれており、けっこう無残な状態に・・・
これは選鉱荒挽の場。鉱石は砕いてから炉に入れられる。

微粉磨挽の場

荒く砕いた金鉱石を臼を使ってさらに細かく砕く。
かなりの重労働だったことだろう。

ネコ流し椀かけの場

布の上に砕かれた金鉱石を乗せ、水を流す。
そうすると比重の重い金銀は流れずに布の上に止まる。
このようにして金銀の鉱石を見つけていた。

ちなみに、ネコとは淫語で、金のことを言い、
この猫流しの過程はオバちゃんが行なっており、
金をポケットに隠してしまう行為から「ネコババ」という言葉が生まれたそうだ。

水銀アマルガム作成の場

一旦金鉱石と水銀を混ぜ、水銀と金・銀を化合させる。
その後加熱し、水銀を蒸発させることによって純度の高い金・銀を取り出す製法である。
現在は公害などの関係で行われていないようだ。

鋳金炉すくい上げの場

加熱し、溶かした鉱石の上澄みをすくい上げる。

千石船にて金を江戸に輸送していた。
電車や車などもなかった時代。輸送は船にて行われていた。
金は他の鉱石と比べて比重が重い。船で運ぶのも大変だっただろう。

江戸金座。延金荒切りの場。

運ばれた金を更に加工していたのか。

後藤役所の図金の管理を行なっていた人

うん、最初にも言ったが、結構しっかりした模型なんだから
、もうちょっとちゃんと管理してあげればいいのに(笑)

続いて、おばちゃんにこんなプレハブのような建物に案内された。
ここでは金鉱石や、小判の模型などが展示されていた。

鉱石や小判の模型などこれらも雑多に展示されている。

金の鉱石など

普通に山に転がっていそうだが、
これを見て鉱脈を見つけることを専門としている人がいた。
専門職ってすごいなぁ。

こちらの鉱石はこすり合わせると火花が出る。
何回かチャレンジして撮影させてもらったが、火花が写っているのがこの写真のみ。
何回もリテイクしてしまって申し訳ありません。

小判と大判の模型

土肥金山でも述べたが、小判は一般にも流通していた通貨なのに対し、
大判は手柄としてもらえるもので、一般には流通していなかった。

ここで説明はおじさんにバトンタッチ。

金の流通だけでなく、関係ないものまで展示してあった。
しかし、もうちょっとまともに展示してあげてもいいのに。
この小屋で展示品の保存とか大丈夫なのか?

我国古代の金鉱と金山採掘の図

この絵を見せながらおじさんが解説してくれる。

その解説がまたマシンガントーク!
すっげぇテンポで話すんだわ。
70%くらいしか聞き取れないんだけどね(笑)

そしていよいよ鉱口へと入る。
ここが当時の鉱山の入口。
土肥金山と違って、大人一人入るのがやっとの狭さ。

その2へ続く

コメント

タイトルとURLをコピーしました